修復的対話のルーツ

カナダの先住民、ニュージーランドのマオリなどの人たちが近代以前の社会で行っていた対話を再評価し、現代に再生させた対話です。カナダ先住民の人たちの対話をルーツにもつサークルという対話モデルは、仏教など東洋の宗教や文化から多くの影響を受けています。いずれも、異なる多様な人々との間にも、必ずある、人としての共通性に耳を傾け、お互いの理解とつながりを生み出します。

 近代司法による垂直的正義ではなく、近代以前の社会にあった水平的正義を実践しようとする対話で、今ここで起きた問題により損なわれた関係(harm)を修復するために対話します。修復的対話の経験は、未来に備えるための経験を積む対話にもなるので、安心できるコミュニティづくりの対話にもなります。

 修復的対話(RJ対話)の担い手は、参加者が安心して対話に参加できているかを見守り、全身全霊を傾けて深く聴くことを促します。テクニックを駆使して〇〇する、〇〇しなければ…、というのではなく、静かに心を傾けて聴くと、セラピーではありませんが、どんなセラピーよりも人の心を癒し、参加者の間に、自然と赦しや修復と呼べる何かを生みだします。

 1974年、カナダ、オンタリオ州キッチナーで、ふたりの少年が酒に酔って車のタイヤを破裂させ、窓ガラスを割るなどの22件の罪を犯しました。この犯罪に対して、世界で初めて修復的対話が用いられました。

 かつて、私たちは悪いことをした場合に直接相手に詫びてきたはずです。しかし、近代社会になって、法律ができると、直接相手に詫びるのでなく法により国家に裁かれるようになりました。

 この少年たちも法により裁かれるはずだったのですが、法で裁くよりも、彼らが本当に自分のしたことを理解して悔いるには、直接相手に謝るほうがよいのではないかと、その時の司法関係者らが考え、実行したことが始まりです。

 少年たちはそれぞれの保護司が少し離れて見守るなか、全被害者宅を訪問して詫びました。そして、被害者の恐怖や苦痛を直接聞く体験から、自分たちがしたことの影響をまざまざと知り、心から悔い、弁済を含めて償いをしました。さらにこのうちの一人は、その後に、修復的対話の担い手となり罪を犯した少年たちの立ち直りを支えるようになりました。

 被害の住民たちも、何人かの被害者はこの地域に住み続けることが恐ろしくて既に引っ越していなくなっていたのですが、残っていた人たちは、安心してその地域に暮らし続けることができるようになり、少年たちの立ち直りを見守り、彼らを地域の仲間として迎え入れることができました。