会員の高校教師、平馬さん(仮名)からの実践報告

公表用:215号特集1平馬実践★

<平馬さんへ梅崎からのコメント>

平馬さん、素晴らしい実践報告をありがとうございました。

こんな風に実践してくださって、本当にうれしく思いました。

以下に、拝見しての感想とコメントを少しだけ、お伝えしますね。

文中に、修復的対話のルールで「自分の番をパスする権利はあるが、望ましくはない」

とされていましたが、私は「望ましくはない」とは言わない方が良いのではないかと思います。

生徒さんの、発言しない権利を保障する必要があるからです。

きっと、はじめての実践で、ドキドキされていて、発言者がいないことが心配なために、

加えられた言葉なのでしょうね。

しかし、生徒さんたちが、サークルの公平性、発言しない権利の保障を感じられるためには、
「望ましくない」というよりも、「発言してくれたらうれしい」の方がよかったかなと思います。
もしかしたら事前に、生徒さんが誰も発言しない場合に、

キーパー(平馬さん)が一人語りのように話す心つもり(覚悟とも言えましょうか…)をされていたら、

加える必要はなかった言葉だったかもしれません。
実践してみると、生徒さんたちは、一人くらいは、必ず発言してくれるものです。
また発言が全くなかった場合でも、クロージングに自由なお喋りタイムを設けると
そこで、彼らの雑談が始まり、その雑談にはサークルでの体験が必ず影響を与えていますから、
そうした彼らの言葉に耳を傾けることで、キーパーと彼らとの信頼関係が形成されます。
生徒さんたちは、この大人(キーパー)は、サークルの中で、彼らに圧力をかけないということを、

そこで信じることができるので、信頼関係が形成されて、

生徒さんとキーパー平馬さんとの関係性が変化する、もしくは変化する土台が形成されるでしょう。

また、実践されてのご報告をお待ちしています。ありがとうございました。

<平馬さんからのお返事>

「<ルール>自分の番をパスする権利はあるが、望ましくはない。」について、ご指摘頂いてありがとうございます。

仰るとおりだと感じます。あの表記は、ジョン・ウェンズレイド、マイケル・ウィリアムズ(綾城初穂訳)

『いじめ・暴力に向き合う学校づくり―対立を修復し、学びに変えるナラティブ・アプローチ』に書かれてある文言を

そのまま使いました。学校でやるのは始めてだったので、とりあえずやってみた、という感じでした。

その後回数を重ねて、やっぱりこの言い方は違うなと思って、今は、以下のように変えています。
「もし話せない/話したくない場合は、自分の番をパスする権利があります。それは悪いことではありません。

これは他者の話を深く聴く(傾聴する)練習でもあります。気にせずに、聴くことに集中してみて下さい。

でもできれば、話してくれると嬉しいです。」